コラム / ストーリー

    想像を超えるものに出会いたい。写真家・石川直樹が見つめる世界

    ゲストライター
    ゲストライター

    「世界を自分の目で見たい」17歳でのヒマラヤとの出会い

    写真家の石川直樹さんが、初めてヒマラヤの山々を目にしたのは17歳のときでした。高校2年生の夏、アルバイトで貯めた資金を手に、インドとネパールを一人で旅したのです。子どもの頃から冒険・探検本が大好きでしたが、当時はアジアを歩く旅行記を読み耽っていた時期でもあったようです。同時に、かつてバックパッカーだった高校の世界史の教師の影響もありました。

    インドでの体験が強烈すぎて疲れてしまい、予定にはなかったネパールに行きヒマラヤを目の当たりにして、「この光景を自分の目で見られたことが衝撃だった」と言います。

    その後も旅をつづけ、高校卒業後すぐにカヌーイスト・野田知佑さんのもとでカヌーを漕いだり、屋久島やカンボジア・ベトナムを訪れたことも。大学入学後にはアラスカのユーコン川を単独で下り、20歳のときにはデナリ(マッキンリー山)で初の高所登山を経験。そして、北極から南極を人力で縦断する「Pole to Pole」プロジェクトに22歳で参加したことを機に、旅する人生が本格的に始まりました。

    デナリにて、20歳のとき。


    道具での苦い経験から、ギアを研究するようになった

    装備の重要性を強く意識するようになったのは中学生の頃でした。

    「中学生の時の初めての登山は奥多摩で、その頃はバスケットボールシューズで山に登りました。残雪期の山で、靴下の上からビニール袋を被せてバスケットボールシューズを履くという無謀な装備でなんとかしのいでいましたが、当然ながら足はびしょびしょになります。学校で支給された寝袋が寒すぎて眠れなかったり、安い雨合羽を着ると(透湿性がないので)内側がぐっしょり濡れてしまったり……いろいろな失敗をしました」

    そうした経験を重ねながら、よりよい道具を求めるようになり、中学生の頃からアウトドア雑誌を読み込んで、ギアについて独自に研究するようになったそうです。

    「安いものを買うと厳しい環境では役に立たないことがわかりました。そこからは、少し高くても丈夫で良いものを選ぶようになりました。中学時代に買ったグレゴリーのバックパックは、23歳の時のエベレスト登頂でも使ったほどです。『GORE-TEX』搭載のダナーの靴もソールが削れすぎたらソールを張り替えて履き続けるなど、気に入ったものはとことん使い倒しました」

    近年のヒマラヤ登山の相棒として使用しているTHE NORTH FACE、「SUMMIT SERIES」のウエア。

    2015年、冬の知床半島、斜里岳にて。


    「記録」としての写真が「作品」に生まれ変わる瞬間 

    昔から、旅をしながら写真を撮ることは、ごく自然な行為だったという石川さん。中学時代の四国への旅、高校時代のインド・ネパールひとり旅でも、当たり前のように写真を撮っていました。しかし、写真家として生きる道を意識し始めたのは、大学時代に読んだ星野道夫さんの本や、野田知佑さんとの出会いがあったからだったと言います。

    「旅ができなくなるので、会社には絶対に入らないようにしようと思ったんです。そうなると、選択肢は絞られて、僕としてはフリーランスの写真家かジャーナリストか作家になるしかなかった。写真家になるのは簡単なんですよ。資格も何もいらないから、写真家です、と名乗った瞬間からなれますから」

    学生時代に北極から南極を人力で縦断するする「Pole to Pole」の旅で撮影した写真によって初めての個展を開催し、写真集も出版できた。それらの準備段階で、写真家の森山大道さんに写真を見せたことも大きな転機になったという。

    「自分では失敗したと思っていた写真を、森山さんが“この写真いいね”って言うんですよ。それが面白くて、もっと写真を撮ろうと思うようになりました」

    現在、40冊以上の写真集を刊行されていますが、その99.5%はフィルム撮影によるものだと言います。8000m峰の極限の環境でも中判カメラを手放さないのは、「想像以上のものに出会いたい」という信念からでした。

    「“こんな写真を撮りたい”と考えているものがかっちり撮れてしまってもつまらない。想定外の写真が撮れるのが一番いいですね。自分の想像を超えるものに出会いたい、撮りたいという気持ちが強いんです。今でもそのために旅に出ているというか……」

    高所登山にも持っていく中判カメラのプラウベル マキナ670。ベースキャンプまでは中判カメラ2台、記録用としてデジカメも持参して動画なども撮影するという。


    「これを着ていれば大丈夫」GORE-TEX プロダクトへの厚い信頼 

    石川さんが「GORE-TEX」を知ったのは、アウトドア雑誌を熱心に読んだり、アウトドア用品店でアルバイトをしていた頃でした。最初に買ったものは覚えていないと言いますが、印象に残っているのは、20歳でデナリに向かう際に渋谷のパタゴニアで購入したGORE-TEX プロダクトのジャケットでした。

    「『GORE-TEX』は優れた防水透湿性があるうえで、最も信頼感のある素材。これを着ていれば大丈夫という安心感があらます。似たような素材もありますが、透湿性も違うし、防水の具合やヘタレ具合も異なる印象です。イメージもあるかもしれないですけど信頼感が高いです。

    かつてGORE-TEX ファブリクスのテントも使っていましたが、フライシートがなくても雨の中で平気でした。そういった経験を重ねたうえでの信頼感があります。『GORE-TEX』でしくじった経験が一度もないんです。僕はお世辞は言わないので本当のことです」

    2023年、カンチェンジュンガにて。

    こちらも石川さんのヒマラヤ登山に欠かせない、THE NORTH FACE、「SUMMIT SERIES」のジャケット。メイン素材には、丈夫で耐久性に優れた、GORE-TEX PRO プロダクトテクノロジーが採用されている。

    2024年10月、シシャパンマ登頂時。


    ヒマラヤ8000m峰全14座登頂と、新世代シェルパへの期待

    2024年10月2日、石川さんはシシャパンマを登頂し、ヒマラヤ8000m峰全14座の登頂を達成しました。その裏側には、「本当の頂上」への関心と、新世代シェルパたちへの共感がありました。

    「例えばマナスルという山があります。ここは日本人が初登した8000m峰ですが、初登頂時は最高地点に立っていたのに、近年は多くの登山家が本当の頂上まで行っていなかったんです。本当の頂上へ行くには、頂上だと思われていた場所から一度下がって、登り返す必要がありました。頂上付近でそんなことをしていると、リスクも大きいし、時間もかかります。だから、ほとんどの登山者は敬遠したか、気づかなかったんでしょうね。本当の頂上までいくと、マナスルという山の難易度や印象まで変わってくる。そういうことが、自分で2回行くことによってよくわかりました」

    石川さんが注目する新世代のシェルパ。これまでと何が違うのでしょうか。

    「シェルパとは、ネパールの山岳地域に暮らす少数民族の名称です。かつては、仕事のために海外の登山隊のサポートに徹していました。しかし、最近は山登り自体が好きな若いシェルパたちが出てきた。6000mを超える山の未踏ルートを目指したり、自分たちだけで外国へ遠征に行くなど、自らの意志で登山をするようになりました。国際山岳ガイドの資格を取得する人も増えてきて、責任感をもって仕事に取り組む姿勢も高まりました」

    シシャパンマに登頂し、ベースキャンプに戻ってきたときの写真。シェルパたちとともに。


    「登山は芸術」生き延びる技術が生み出すアート 

    石川さんは登山家ではなく、東京藝術大学大学院で美術を学んだ写真家です。アスリート的な視点で登山に取り組んでいるわけではありません。「登山は芸術として存在しうる」と語ります。

    「もともと“芸術”には“技術”という意味もあって、人の病気を治す医術や家を建てる建築技術をはじめとした生き延びるための技術こそが芸術とされていました。古典のギリシャ語の「テクネ―」やラテン語の「アルス」がそれにあたります。あらゆる「技術」こそが芸術だったわけです。

    登山はサバイバルの技術でもあり、雪氷地帯を歩き、壁を登ったりする技術などから成っている。誰の足跡もない壁や斜面にどれだけ美しいラインを描けるか。それは、まさに芸術そのものだと思います。ぼくの登山自体はその域に全然達してないけれど、そうした登山を記録し、一端を理解することはできます」

    これからの旅で、石川さんはどんな世界を見つけるのでしょうか。登山という芸術から広がる風景を切り取る。たとえ困難な場所でもクリエイティブに没頭できるサポートを、今後もGORE-TEX プロダクトテクノロジーは提供していきます。


    原稿:富山英三郎 写真:江原将太郎 編集:ユーフォリアファクトリー

    ゲストライター ゲストライター

    ゲストライター

    新しい発見。興味深い視点。ワクワクするストーリー。さまざまな分野で活躍するゲストライターたちが、"GORE-TEX プロダクト" にまつわるコラムをお届けします。

    Read more from this author